江戸時代の結婚は身分優先!身分が高いほど結婚が不自由な時代
2018.10.24
江戸時代の人たちはどのような方法で結婚相手を見つけていたのでしょうか。この頃の結婚は、身分が高い人ほど結婚相手を自由に決めることができなかったようです。
江戸時代に結婚する時、結婚相手はどんなふうに決めるの?自由な恋愛はできていた?
そこで今回は、江戸時代の人達の結婚相手の決め方や、身分違いの人との驚きの結婚方法についてお伝えします!
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この記事の目次
江戸時代の結婚のスタイルは3つ!身分が低いほど自由
江戸時代の結婚スタイルは通い婚
男性と女性はそれぞれの家に住み続けたまま、男性が女性のもとを訪れる「通い婚」。日本に古くからあった結婚のスタイルですが、江戸時代になっても農村など一部では、この風習が残されていました。
江戸時代に一般的になった嫁入り婚
女性が男性の家に迎え入れられ、男性の両親と一緒に暮らす結婚形態です。江戸時代に一般的になり、昭和の中頃までは多く見受けられました。
江戸時代にからある独立婚
男性、女性とも親元を離れて二人で所帯を持つ独立婚は、現代の多くの夫婦が取る結婚のスタイル。江戸時代は、男女ともそれぞれが長屋で暮らすなど、身軽な生活をしている場合にはこの形の結婚が一般的だったようです。
身分が低い庶民ほど、結婚に関しては本人たちの自由度が高く、逆に高い身分の家柄では結婚は本人の意志よりも、親を始め周囲から決められてしまう場合が多く不自由な結婚を強いられるケースが多くありました。
江戸時代の結婚!身分が高いと親や上司が相手を決める
江戸時代の結婚は、家柄を非常に重視しました。「身分が同格」ということが基本であり、中流・上層階級の武家・商家では特に重要視されていました。
この頃の日本は家庭内においても上下関係は厳密で、商家や一般市民は親が決めた相手との結婚が当たり前。武家では、親だけでなく上司からの命令で結婚が決まることもありました。
式当日まで顔を知らなかったということも珍しくないという、現代では考えられないような結婚です。自由に恋愛することも幕府により制限されることがありました。万が一縁談が決まっている女性が、他の男性と密通していたことが知れると男性は江戸から追放され、女性は髪をそられて親元に返されたといいます。
この時代の結婚適齢期は19歳頃。今から考えると、自由な恋愛もできずに19歳前後で結婚を強いられたなんて辛く感じる面もあります。
ですが、庶民の恋愛はもっと自由度が高く、身近な異性と恋仲になることもありました。とはいえ、若い男女が一緒に往来を歩くことははばかられたため、人目のつかない場所で待ち合わせをしたりするデートが中心。
夕涼みやホタル狩り、神社の境内などが定番のデートコースでした。
江戸時代の結婚相手は身分に寄って決め方が違う
現在とは結婚に関して随分違いがあった江戸時代。結婚相手は、それぞれ次のように決まることが主流でした。
政略縁組…高位の身分、主に武家
家同士の結びつきや政治的な戦略によって結婚が決められ、結婚する当人同士の意志や心情は考慮されないことが多くありました。
跡継ぎ指名…商家や職人
家に有能な跡継ぎを残すため、息子ではなく、娘に親が決めた男性を婿として迎え入れました。多くは、その家で働いていた番頭や弟子から選ばれました。
お見合い結婚…庶民
庶民の結婚ではお見合いが一般的でした。ただ、現代のお見合いのように二人を差し向かいにして合わせるのではなく、寺社詣や芝居の見物などにおいて遠くから姿を見る程度のものでした。今のような見合いの席だと断る時に仲人や相手の対面を傷つけてしまわないようにという配慮があったようです。
恋愛結婚…庶民
身分の低い庶民だからこそできた自由な恋愛結婚。身分の高い人たちから見ると、羨ましく感じたことでしょうね。
江戸時代の武士たちの結婚について
武士の結婚は、そのほとんどが親同士によって決められ、結婚式の当日に至るまで顔すらわからないというのが当たり前でした。
結婚相手に求められるものは、とにかく家柄重視。容姿や人柄がいかに魅力的であっても家柄がそぐわなければ、結婚の対象にすらなりませんでした。
双方の親同士が話し合って結婚を決めると、当人たちの意志とは関係なく話が進められます。藩庁に結婚の申し出をして許可されると結婚式を行わなくても夫婦として認められました。
当人たちも互いの顔も人となりも知らないまま夫婦になり、結婚式当日に初めてお互いの顔を見るのですから、恋愛感情など微塵もありません。
もちろん、運良くそこで互いが惹かれ合えばそれも幸せであったかもしれませんが、ごの逆もあるわけです。
現代の若者には想像もできない結婚ですが、当時は当たり前のことだったのです。
江戸時代・身分が違う人と結婚したい時にとった仰天の方法
江戸時代でも時代の変化とともに、結婚に関しての考え方にも変化が訪れます。
身分の違いに対するこだわりが緩やかになってくると、多少身分が違っていても結婚に至るケースが出てきます。
もちろん、極端な身分差がある場合には困難でしたが、そこで登場したのが「養子縁組」という裏技でした。
身分の違いが結婚の障害になるのなら、相手と同等の身分の家に養子にとして入ってしまおうというのです。
その頃、すでにお金と引き換えに養子に迎え入れる持参金養子の存在によって、階級制度も破綻しかけていた時代でもあったことも、この流れを生んだと言えるでしょう。
また、この頃になると商家などでは息子よりも娘を跡継ぎにすることが増え「婿養子」が定着していきます。女性が家を継ぐようになり「女将さん」と呼ぶようになったので、今でも女主人に対して女将さんという呼び名が残っています。