トルコが親日国である理由とは?そこにはこんな歴史があった!
2018.4.4
親日国と言われているトルコですが、その理由を考えたことはありますか?
遠く離れた国なのに、どうしてトルコ人は日本が好きなのでしょうか。
歴史を見てみると、そこには深い理由があることがわかりました。
過去の日本人の善意が、今の日本とトルコの関係に繋がっているんですね・・・!
具体的に何があったのか、早速ご紹介していきます。
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この記事の目次
トルコが親日国となった理由は、この事故がきっかけ!?
トルコが親日国となったのは「エルトゥールル号遭難事故」が背景にあるようです。
この事故は、和歌山県の串本町付近の海で発生しました。1890年9月のことなので、トルコはオスマン帝国の一部だったのです。
エルトゥールル号は、オスマン帝国と日本の友好のために横浜に入港しました。そして3ヶ月ほど日本に滞在した後横浜港を出港したのですが、その時期が9月でした。9月は台風が多いので、日本側は時期を考え直した方がよいのでは?と言ったそうです。しかし、そのまま帰国の途に出港しました。しかし、台風が近づいてきたため座礁してしまったようです。
この事故によって多くの人が亡くなりました。しかし、その時に駆けつけた串本町の人たちの献身的な介護により救出された人もいます。
串本町の人たちは、少ない自分たちの食料から救助した人に提供したと言われています。そしてこの事故のことが日本中に知れ渡ったことによってお見舞金も集まりました。
この話が当時のオスマン帝国でも知られたことで、トルコは親日国になったと伝えられているようです。
トルコが親日国になった理由は、この人のおかげかもしれない
トルコの小学校では、ある日本人について勉強すると言われています。その人の名前は「山田寅次郎」です。
1890年「エルトゥールル号遭難事故」が起こった時、山田寅次郎は24歳でした。トルコから親善使節団がきたことに驚いていたようですが、その船が沈没したことに大きく心を動かされたと言います。
「自分にできることはないか?」とトルコ使節団の遺族への寄付金を集め始めました。さらに新聞社に働きかけて全国で演説会を開き、義援金を集めたのです。その金額は、現在の価値に直すと約2700万円!そしてそのお金を持ってトルコに行ったのです。
その時のオスマン帝国皇帝はアブデュルハミト2世。義援金を渡すと大変感謝されたといいます。
山田寅次郎はその皇帝にトルコに滞在するように言われました。そしてトルコの士官学校で日本語と日本について教えるようになったのです。
山田寅次郎の存在もトルコが親日になった理由の一つと言えるでしょう。
トルコ人が親日な理由の一つの、兄弟伝説とは・・・
トルコは世界一の親日国家と世界中で言われているようです。
実際にトルコの人に「世界で一番好きな国は?」と質問すると、常に日本が1位になると言います、
先ほど考えられる理由について説明しましたが、ウクライナやキルギスと同じように「兄弟伝説」があるようです。「トルコと日本は兄弟。西へ来たのが僕たちトルコ人、東へ行ったのが君たち日本人だ。」と言った発言をする人もいると言います。
国旗が似ているというのも理由の一つかもしれません。日本の国旗は「明け方の白い空に昇る太陽」をモチーフとする日の丸、そしてトルコの国旗は「夕暮れの赤い空に傾く月」をモチーフとする新月旗なので、仲の良い兄弟がモンゴル高原で別れ、太陽を追いかけて東に行った方は日本を建国し、月を追いかけて西に行った方はトルコを建国した。」という説も存在するようです。
親日って本当?実際にトルコへ旅行へ行って感じたこととは
実際にトルコを旅行した人も、トルコ人が親日家ということを肌で感じたと言います。
ある人はトルコを旅行中、日本語で話しかけられたといいます。夜のイスタンブール旧市街を歩きながら、トルコ名物のおみやげを探している時だったそうです。
悪い人ではなさそうだったので、欲しいものを言ってみました。そうすると、一緒にお店を探してくれたといいます。
時間が遅かったので、ほとんどの店が閉店していました。結局買うことはできなかったそうですが、優しくしてくれたことが嬉しかったといいます。
「なぜここまでしてくれたのか?」そのトルコ人に聞いてみると、仕事で日本にいった時に同じように日本人が親切にしてくれるからだ、と答えてくれたそうです。
トルコ人が親日家だということは、ウソではないようですね。