忍者は現在も実在する?実在した歴史上の忍者と忍者の能力・仕事
2018.11.11
本当に忍者が実在していたのか、現在も忍者がいるのか知りたいという人もいますよね。日本の歴史や物語などに度々登場する忍者。忍者は本当に実在していたのでしょうか。
忍者は外国人の方からも人気が高い存在です。日本にも忍者ファンの人もいますよね。忍者はどんな能力があって、どんな仕事をしていたのでしょうか。
そこで今回は、忍者の能力や仕事についてと、忍者が実在していたかどうか・現在も実在しているのかについてお伝えします。
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忍者は実在した?現在でも知られる歴史上の忍者
- 服部半蔵(はっとり・はんぞう)
徳川家康の家臣でもあった服部半蔵は、生涯徳川家に忠義を尽くし、半蔵率いる伊賀忍者は江戸城の護衛を担っていました。「服部半蔵は永遠不滅の存在である」として、半蔵が亡くなった後も後継者は代々服部半蔵の名を引き継ぎました。
世に一番知られる「服部半蔵」は、実は二代目の半蔵なのです。 - 石川五右衛門(いしかわ・ごえもん)
「釜茹での刑」で有名な石川五右衛門は、裕福な大名や商人から金品を盗み、貧しい人々に分け与えたとして伝わる義賊です。しかし、いくつかある言い伝えの中には元伊賀流忍者であったという説も残されています。 - 城戸弥左衛門(きど・やざえもん)
織田信長を二度暗殺しようとしたことで有名な忍者です。いずれも失敗しているものの、二度目の襲撃では従者7人を倒したとの記録があります。
忍者は現在も実在するの?
一般的なイメージにある忍者は、10~18世紀の日本で権力者に仕え諜報活動をしていたスパイのような存在です。とはいえ、常に忍者でいるわけではなく、普段は農民や職人として人々に溶け込み、人知れず様々な訓練を行った上で指示があった場合に、忍者として活動していました。
時には完全に一般の民衆に溶け込み、長いものでは数十年を過ごしつつスパイ活動のタイミングを計る「草」という潜入任務もありました。
漫画や映画の題材にも繰り返して登場するため海外でも人気が高く、日本を訪れる外国人の中には、現在も日本国内で忍者が活躍していると思っている人も少なくありません。
国内での戦があった時代と違って、現在は忍者が暗躍することはありません。しかし、忍術を日本文化として伝えていこうという活動は行われています。
姿を隠したり、水の上を歩くことができるかどうかは別にして、忍者の活動を体感できるスポットは日本全国のあちこちに存在しています。
忍者は現在でも実在する?求人があった!
子供の頃に忍者のかっこよさに憧れ、忍者になりたい!と思ったことはありませんでしたか?
実は以前、ハローワークで忍者を募集する求人が出されたことがありました。
「日給制・各種保険完備。黒装束と秘伝書支給」という、冗談のようで本当の話。SNSなどで話題となり、世界中から応募や問い合わせが殺到したんだとか。
もちろん、昔のような諜報活動や破壊活動は行いません。観光施設などで忍者の技をショーとしてみせたり、地域おこしなどに参加したりするのです。
現在、この時の求人は出されていませんが、同じような求人は各地の忍者関連施設で個々に募集が出されることがあります。
現代の忍者とはいえ、様々な技を披露するためには肉体の鍛錬や修行も仕事のうち。本気で忍者を目指すなら、忍者募集の求人を探してみてはいかがでしょうか。
今のままでは忍者文化が廃れ、失われるかもしれません。これからの忍者は「文化の継承」という新たな任務を担うことになっていくのでしょう。
忍者に必要な能力について
- 武術
ベースは武士が使う柔術や剣術ですが、忍者特有の武器や技術も多くあったと言われています。敵を倒すというよりも、怪我を負わせて自分は素早くその場から逃げるための技術が主でした。 - 剣術
身軽にするため武士が持つ刀よりも小ぶりな刀や携帯しやすい手裏剣の技術は必須でした。農民に紛れて活動することも多かったので、とっさの場面で鎌や斧を武器として使う技術にも長けていました。 - 薬の知識
怪我や病気の治療に使う薬や毒物、また火薬の調合など薬や化学の知識もありました。情報収集で各地を移動する際は、薬売りに扮していると怪しまれず動ける利点もありました。 - 呪術や天文の知識
まじないや火薬を利用して錯覚や敵を混乱させて活動することもありました。天文の知識は占いによって方角や日時を決定するため、また天候の知識は戦術に必要なものでした。
伊賀忍者と甲賀忍者について
忍者として有名なのが「伊賀忍者」と「甲賀忍者」。
伊賀では小国が多く、互いに小競り合いが繰り返されました。山に囲まれた立地と、農作物などの豊富とはいえず、周辺の大きな国から攻め込まれることは、ほとんどありませんでした。
織田信長によって二度攻め込まれ、一度は耐えたものの最終的に荒廃した伊賀を出て全国に散らばった忍者が、忍術を広めたと言われています。
一方、小さいとはいえ「伊賀国」であった伊賀に対し、甲賀は「近江の国」の一部でしかなく、伊賀よりもさらに規模が小さいものでした。
それでも項が忍者が多くの人々に認知されているのは、室町時代の忍者、望月出雲守(もちづきいずものかみ)の存在があったためです。
室町時代、幕府に追われた近江国の六角氏が甲賀へ逃げ込みました。この際、甲賀忍者たちが六角氏を守って戦い抜き、これが室町幕府崩壊のきっかけになったのです。
この時、魔法のようだと称される戦いを繰り広げ活躍したのが、望月出雲守であったと伝えられています。