江戸時代の女性はどんな生活をしていたのかを覗き見!
2018.10.15
江戸時代ともなると様々な書籍や資料があるため、ある程度どんな生活をしているかを知ることができます。
江戸時代を舞台にしたテレビを見ても、江戸時代の女性は今とは全く違う生活を送っていることがよくわかりますが、いったいどのような生活をして過ごしてきたのでしょうか。
今回は江戸時代の女性の生活について調べました。
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この記事の目次
江戸時代の女性はどんな髪型や着物で生活していたの?
江戸時代の女性の生活と、現代の女性の生活のはどのような部分が大きく違うのか見ていきましょう。
江戸時代の女性の髪型
現代のように、江戸時代にも髪型の流行りは男女ともにあったようです。
しかし、その内容は現代のものとは大きく違います。
女性の髪型は、前髪は後ろに流します。
現代だと、前髪でおでこを隠すような髪型も多いので、前髪一つだけでも違います。
側頭部の髪はふんわりとさせ、ふくらませたような感じにします。
頭頂部の髪は、大きくふくらませます。
うなじ部分は、大きくしたり小さくしたりして、この4つの部分の形で髪型は決まっていました。
またくしやかんざしなどを使って、髪を可愛く飾っていました。
髪を飾るという文化は、現代と同じなのですね。
江戸時代の女性の着物
現代では特別なときにしか着ることがなくなってきましたが、江戸時代の服装は着物が愛用されていました。
着物の種類は男女で違うことはもちろん、身分によっても違ったと言われています。
着物だけでなく、小物にも身分の違いが表れていたようです。
社会制度がそのまま服装に反映されていると言うのだから、現代を生きる人には驚きですね。
町人の妻は着物にエプロンという服装が一般的でした。
着物を汚さないために、エプロンをしていました。
江戸時代庶民の若い女性の生活とは?
江戸時代、地域によっても差はありましたが、最低限の読み書きは出来るようにという風習がありました。
都会近くで生活する庶民は、10歳くらいになると寺子屋に通っていました。
寺子屋では、読み書きの他に計算も教えていたようです。
男性にも女性にも差別はなく、ある程度の年齢になったら寺子屋に通うというものでした。
12歳くらいになると、女性は女性らしくといった考えから手紙の書き方や、生け花、踊り、三味線や琴を習っていたそうです。
教養を身に付けるために、いろいろな習い事をしていたのですね。
貧しい家の子供は、仕事をするために家を離れていたそうです。
15歳~18歳くらいで成人して、早いと縁談の話もこの時期に出てくるようです。
現代では15歳~18歳というと、まだ中学生や高校生なので江戸時代がいかに早いかがわかります。
10代の女子は、習い事や勉強にかける時間が長く、女性としての教育を熱心に受けていたことがわかりますね。
江戸時代の既婚女性はお歯黒で生活する習慣だった!?
江戸時代の既婚女性や花魁には、お歯黒をする習慣がありました。
お歯黒だけでなく、結婚して出産をすると眉を剃るということも一般的にあった習慣です。
お歯黒は化粧の一つで、江戸時代には顔だけでなく歯にも化粧をしていました。
現代は歯は白いほうが、綺麗で健康的だという考えですが江戸時代は全く真逆な考えでした。
黒いほうが美しいのです。
花魁は庶民には手の届かない存在で、高級な着物を着たり、高価なかんざしを付けたりしていました。
そのような意味でもお歯黒をしていたのでしょう。
そして、お歯黒には虫歯の予防効果もあったとされています。
江戸時代の女性は、結婚も早いので出産する年齢も、現代と比べると非常に若いです。
出産する子供の人数も多かったので、その分女性の体には負担がかかります。
そのため、虫歯や歯周病といったことが多くあり、既婚女性がお歯黒をすることは虫歯や歯周病を予防するためにされていたと言われています。
江戸時代の庶民の長屋暮らし生活とは?
現代の住まいというと、一軒家やマンション、アパートなど家族構成やライフスタイルに合わせて自分で好きに選ぶことが出来ます。
江戸時代は長屋に住む人がほとんどでした。
長屋とは、細長いひとつの建物の内部を壁で仕切り、いくつかの部屋を作ったものです。
江戸時代も都市部に人口が集中するので、このような住まいで多くの人を収容していたのでしょう。
薄い板で仕切っているだけの壁なので、隣の音はほとんど聞こえていたようです。
会話の声や食事をする音まで聞こえていたようです。
現代だと、生活音でのトラブルがあるくらいなので、ここにも驚きがあります。
トイレや井戸、洗い場は長屋のみんなで共同で使っていました。
夏の暑さをしのぐようなエアコンも、冬の寒さをしのぐ暖房もなかった時代でしょう。
家族が身を寄せ合って生活していたことでしょう。
また、歌舞伎や能といった娯楽は、庶民にとっては非常に贅沢なことでした。
一部の人にしか馴染みもなく、生涯一度も見ることがなかったという人もたくさんいたでしょう。
江戸時代の当たり前と現代の当たり前は、時代とともに大きく変化してきました。
江戸時代の食生活とは?
江戸時代では肉を食べる習慣は、ほとんどなかったと言います。
魚や豆類からタンパク質を摂取していたと言われています。
また、現代とは違って身分によって食事の内容にも違いがありました。
江戸時代の庶民の食事
ご飯、味噌汁、漬物を食べることが多かったようです。
砂糖や醤油は江戸時代から普及された調味料だと言われており、このような調味料を使って煮物なども食べていたようです。
農民は米を食べることを制限されていて、白米を口に出来ることはほとんどなかったそうです。
自分で大量に収穫することも出来ませんでした。
あわやひえを主食として食べており、魚も滅多に食べることは出来なかったようです。
農民にとっては、白米は贅沢品とされていました。
江戸時代の武家の食事
武家も普段の食事は庶民とあまり変わらなかったようです。
そのかわり、他の人が来るような宴会や祝い事のときには非常に豪華な食事が出されていたようです。
体裁や見栄を重んじての習慣だったようです。
肉や魚は庶民とは違った理由で食べないことがありました。
それは、親族や祖先の命日です。
命日は精進日として、肉と魚を食べないので食べられる日は限られていたようです。